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  • My name is Indy Neidell and this channelThe Great Waris going to cover the first world war,

    私の名前はインディ・ナイジェル。 そしてこのチャンネル「ザ・グレート・ウォー」は毎週、第一次世界大戦を扱います。

  • week by week, as it unfolded 100 years later. From today until November 2018,

    開戦から100年遅れた今日から2018年の11月まで。

  • so you can really get a sense of just what happened as it happened. The active weeks, the passive weeks,

    視聴者の皆さんは 実際に何が起こっていたのかを 感じ取ることができるでしょう。 歴史が動いた週、何事もなかった週。

  • the weeks of carnage and the weeks of hopewe'll follow them all one by one.

    大殺戮が起きた週、そして希望の周。 私たちはそれらすべてを1つずつ追っていきます。

  • And we've made a couple of special episodes about the prelude to war so you can get some

    そして私たちは戦争の序曲について特別なエピソードをいくつか用意しています。

  • idea of all of the forces in motion. We've also made an episode about the assassination

    皆さんは活動中の諸国の全てについてわかるでしょう。

  • of the archduke and his wife as it was one of the pivotal

    また、歴史上の重要な瞬間の一つであるので、

  • moments in our history. All three of these episodes will come out in the next few days.

    私たちはオーストリア皇太子フェルディナント大公夫妻の暗殺について特別なエピソードを用意しました。 これらのエピソードのうち3つは近日中に公開します。

  • 100 years ago today, on July 28th, 1914, the empire of Austria-Hungary declared

    100年前の今日、1914年7月28日オーストリア=ハンガリー帝国はセルビア王国に宣戦を布告しました。

  • war on the Kingdom of Serbia. Now, as you are probably aware, this snowballed within days into the

    皆さんもおそらくご存知のように、この出来事は数日のうちに雪だるま式に拡大しました。

  • First World War.

    第一次世界大戦へと。

  • Now people often talk of theblank check” – when Kaiser Wilhelm said on July 5th, 1914

    現在、ドイツ皇帝ヴィルヘルム2世が1914年7月5日 オーストリアがセルビアに対していかなる行動に出たとしても無条件で支援すると発表したときの

  • that he would unconditionally support Austria in whatever actions she took against Serbia,

    「白地小切手」が話のタネとなっています。

  • and this is seen as the main argument for Germany's responsibility for the war, but

    そのことが戦争へのドイツの責任の主な議論と見られています。

  • this is a little too simple.

    しかし、これは少し単純すぎます。

  • In the days following the assassination of the Austrian Archduke Franz Ferdinand in Sarajevo

    セルビア人ガヴリロ・プリンツィプが サラエボでオーストリアのフランツ・フェルディナント大公を暗殺してから数日のうちに

  • by the Serb Gavrilo Princip, there were anti-Serbian riots and demonstrations in much of Bosnia

    ボスニアの多くの地域で 反セルビアの暴動やデモが起こりました。

  • and official dispatches to Vienna that there was Serbian complicity in the plot, but general

    そしてその陰謀にセルビア人の共犯がいたという公的な特報がオーストリア政府に届きました。

  • European reactions to the killings were quite mild. Austria, however, had big ideas, many

    しかし、その殺人に対する一般的なヨーロッパの反応はかなり穏やかなものでした。 しかし、オーストリアには巨大な思惑がありました。

  • of them coming from Army Chief of Staff Conrad vontzendorf. And I love that name.

    その多くはオーストリア軍参謀総長 コンラート・フォン・ヘッツエンドルフの 考えによるものでした。 私はその名前が好きです。

  • Conrad was a vehement imperialist for Austria and Austrian greatness. He's also

    コンラートは熱烈な オーストリアの帝政支持者でした。

  • been described as beingthe most dangerous kind of officer...both stupid and intensely energetic."

    彼はまた「もっとも危険なタイプの将校…愚かでとてもエネルギッシュとも評されてきました。」

  • There you have it.

    以上。

  • In fact, in the year and a half before today, 1914, he asked his government

    実際、1914年の今日(7月28日)から 1年半前のあいだに

  • to go to war no less than 26 times. And it's very important to note here that his main

    彼は26回もオーストリア政府に戦争をしようと 働きかけてきました。

  • counterweight, the man who repeatedly urged emperor Franz Josef against war with Russia

    そして、ここで指摘するの はとても重要なので言います。 彼の主な政敵つまり、オーストリア皇帝に ロシア、もしくはセルビアとの戦争に反対し、

  • or war with Serbia, not to listen to Conrad, was Archduke Franz Ferdinand, now deceased.

    コンラートに耳を貸さないように 繰り返し促してきた男は フランツ・フェルディナントだったのです。 そして今、彼は亡くなりました。

  • The assassination was, to Conrad, a heaven sent means to curb Serbian power and ambition.

    コンラートにとっては その暗殺はセルビアの勢力と野望に掣肘を 加えるための天啓でした。

  • Now to understand the next few weeks we really need to look a bit at both Germany and Russia

    今、次の数週間を理解するために、 私たちはドイツとロシアの両方を 少し見ておく必要があります。

  • In 1912, the Kaiser had told army chief of staff von Moltke and Grand Admiral

    1912年ヴィルヘルム2世は 陸軍参謀総長小モルトケと海軍元帥ティルピッツに 告げました。

  • von Tirpitz thatAustria had to act vigorously against the foreign Slavs... If Russia were

    「オーストリアは精力的に異質なスラブ民族と対抗しなければならない…

  • to support the Serbs war would be inevitable for us.”

    もし、ロシアがセルビアを支援したならば、 我々にとっても戦争は不可避となるだろう。」

  • Although we think of pre-war Russia today as a backwater,

    現代では戦前のロシアは 停滞していたと考えてしまいがちですが

  • this was not really the case. Russia had become the world's fourth largest economy by 1914.

    実際は違いました。 ロシアは1914年までに 世界第4位の経済大国になっていました。

  • Okay! Shortage of money had always meant before that she had never been able to build and

    通過の不足とは そうなる前はその国は ドイツのような軍隊の組織、装備

  • equip her army like the Germans could, but more importantly, her railways. By 1914, though,

    しかし、より重要な鉄道の整備が できなかったとことを常に意味します。

  • Russian currency was on the gold standard and the railroads were booming and Russia

    しかし、1914年までにロシアの通貨は金本位制に 基づいており、鉄道の敷設が活気づいていました。

  • would be able to easily and quickly defend her borders in only a few years.

    ロシアはわずか数年のうちに 国境を容易かつ迅速に 守ることができるようになるでしょう。

  • Now this was a big fear in the German high commandsince Russia obviously had the manpower advantage,

    ロシアが人的資源の面で明らかに優位になって以来、

  • once her railways were a match for Germany, well... German Chancellor von Bethman Hollweg's

    これは今やドイツ首脳部の大きな懸念でした。 ロシアの鉄道網がドイツのものに 匹敵するに至ってしまったら…

  • diary from July 7th tells us these thoughts: that Russia had become a nightmare, and that

    ドイツ宰相ベートマン・ホルヴェークの日記の 7月7日にはこれらの考えが記されています。

  • the German generals say there must be a war before it was too late. By 1917, Germany

    「ロシアは我々の悪夢になってしまった。 そして、将軍たちは手遅れになる前に ロシアとの戦争しなければならないという。」

  • has no hope, so better 1914.

    1917年まで待っていては、 ドイツに見込みはありません。 1914年なら、まだましです。

  • As an aside herethis was the opinion of the generals and some government

    余談ですが、これは将軍たちや政府高官の意見です。

  • leaders but it was not the opinion of the German people at large.

    しかし、それは国民全体の意見ではありません。

  • You see Germany had the largest population of socialists in Europe and they and others comprised

    ドイツはヨーロッパで もっとも社会主義者が多い国でした。

  • a big anti-war segment of society.

    そして、彼らは他の人々と 社会の反戦派を構成していました。

  • So the Kaiser wrote on June 30, “the Serbs must

    従って、ヴィルヘルム2世は 6月30日にこう書いています。

  • be disposed of, and right soon!” and he did pledge German support for Austria, and

    「セルビア人は片づけられなければならない。 それもすぐに。」 彼はオーストリアにドイツの支援を約束しました。

  • he did tell the Austrian ambassador on July 5th that should war between Austria-Hungary

    そして7月5日オーストリア大使に 次のように話しました。 「オーストリア=ハンガリー帝国とロシアとの戦争が

  • and Russia prove unavoidable, Germany would be at Austria's side. HOWEVER, and this

    避けられないと証明されたならば、 ドイツはオーストリアにつく。」

  • is really important, he also told his chancellor that he did not think there was a real prospect

    しかし、これは本当に重要です。 彼はまたドイツ宰相に本当に戦争が起きるとは 考えていないと話しています。

  • of warthat Russia was not close to being ready.

    ロシアは用意万端とはいかない状況だったのです。

  • The next day, he went on his annual three-week vacation cruise to Norway, which is kind of

    翌日彼は例年の ノルウェーへの3週間の休暇の クルージングへ行きました。

  • not what you'd do if you were basically the most powerful man in the world and you

    それは世界最強であり、戦争に行こうとしてるならば、そうするといったものではありません。

  • were about to go to a major war, so in spite of it all, a world war was not on the Kaiser's mind.

    それら全てにかかわらず、 世界戦争はドイツ皇帝の心中にはなかったのです。

  • So on July 7th, the Austro-Hungarian cabinet met to discuss Serbia, and they were

    7月7日オーストリア=ハンガリー帝国は閣議を開き、セルビアについて討議しました。

  • for a war to reduce Serbia's size and make her dependent on Austria.

    そして、セルビアの領土を削り、 オーストリアへ従属させるための 戦争に賛成しました。

  • On July 13th, a secret report reached Vienna from Sarajevo that there was zero evidence

    7月13日サラエボから秘密の報告がオーストリア政府に届けられました。

  • the Serbian government had anything to do with the assassination. Now, this didn't really

    その報告によればセルビア政府が 暗殺に関与している証拠は 全くなかったとされています。

  • change anything, but THIS did:

    しかし今となっては この報告は何も変えられませんでした。 しかし、報告はされたのです。

  • Franz Josef finally became convinced that Austria could take action against Serbia

    オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は 他の列強から干渉されることなく、 セルビアに軍事行動をとることが できるとついに確信しました。

  • without other powers interfering, so he agreed to issue an ultimatum. The terms of the ultimatum

    こうして、彼は最後通牒を 突き付けることに同意しました。

  • were finalized on July 19th. It had a total of 15 demands and it linked the Belgrade government

    最後通牒の条項は7月19日に最終決定しました。 そこには15項目の要求が記載されており、

  • with the assassination, even without evidence.

    証拠すらなしに セルビア政府と暗殺事件を結び付けていました。

  • Now, you can look up the demands yourself, but here are a couple that really stick out:

    今、皆さんは要求を自分で調べることができます。 しかし、特に目立った点がいくつかあります。

  • the Serbian government must condemn anti-Austrian propaganda and punish anyone who made or distributed it,

    「セルビア政府は反オーストリア宣伝を非難し、 それを作成または広めたものは誰であれ 処罰されなければならない。」

  • and the big oneAustrian officials would participate in the judicial process.

    そして重大なことです、 「オーストリアの官憲は セルビア国内における司法手続に参加する。」

  • In Serbia. Yep, they would be in charge of justice in another country.

    そう、彼らは他国において裁判を担当するのです。

  • Now, as you may guess, this ultimatum was designed to be rejected. It was sent on July

    いまおそらく皆さんが推測されたとおり、 この最後通牒は拒絶させるために設計されています。

  • 23rd, with 48 hours for Serbia to agree to it. 6 PM on

    7月23日、同月25日午後6時までの 48時間の猶予とともに セルビアへ送付されました。

  • July 25th, Serbia answered the ultimatum. She agreed that anti-Austrian propagandists

    7月25日、セルビアは最後通牒に応答しました。 反オーストリア宣伝を処罰し、 運動を鎮圧することに同意しました。

  • would be punished and subversive movement suppressed, and actually agreed to almost

    そしてほとんど他の全てにも実際に同意しました。

  • everything else, but as to Austria participating in the judicial process within Serbia, Serbia

    しかし、セルビア国内における オーストリアの官憲の司法手続への傘下に関しては

  • simply asked that this demand be submitted to the tribunal in The Hague.

    単純にこの要求はハーグの国際仲裁法廷に 委ねられるべきだと依頼しました。

  • Now, everybody except Austria thought this response was just fine, but Austria was determined

    オーストリアを除くすべての人々がこの応答は妥当だと思いました。

  • to go to war. Actually, Russia suggested two days later that negotiations between

    しかし、オーストリアは戦争を決意していたのです。 実際にロシアは2日後、自国政府とオーストリア政府との間で

  • her and Vienna should be opened to try and sort things out. This was refused. A British attempt that same

    交渉を開始し、事態を改善しようと提案しました。しかし、これは拒絶されました。

  • day to talk Germany into having a four-power conference to also try to sort things out

    同日4か国会議で事態を改善しようとする

  • was rejected as well.

    イギリスからドイツへの提案も拒絶されました。

  • And you know what? Here's something that happened then that remained secret until after the war:

    そして皆さんが知っていることは? ここに当時彼らに起き、 戦後まで秘密にされてきたことがあります。

  • on July 28th, 100 years ago today, Kaiser Wilhelm finally read the full

    7月28日、100年前の今日、ヴィルヘルム2世は ついにオーストリアの最後通牒の前文とセルビアの応答 を読みました。

  • text of the Austrian ultimatum and Serbia's response. And he could see no reason at all

    そして、彼にオーストリアの宣戦布告を 見通す理由は全くありません。

  • for Austria to declare war. Yep. After all this that had happened, The Kaiser wrote:

    そう。このすべての後、それは起きたのです。

  • “a great moral victory for Vienna, but with it every reason for war is removed...”

    ヴィルヘルム2世は 「オーストリア政府の偉大な人道的勝利だ。 しかし、これによって、戦争への全ての原因は 取り除かれた」と書き記しています。

  • And just about an hour after the Kaiser scribbled that in the margins, Emperor Franz Josef signed

    そして、彼が余白に走り書きしてからおよそ1時間後、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世は

  • a declaration of war on Serbia, confident of German support. And that declaration would

    ドイツの支援を確信してセルビアへの宣戦布告書に署名しました。

  • turn out to be the death warrant of his own empire.

    子の宣戦布告書は彼の帝国に対する死刑執行省であったことが判明します。

  • We'll see you next week. Click subscribe to get each and every episode as it comes

    また来週お会いしましょう。

  • out, and if you like the show but English isn't your best language, once again, this

  • show is also available in German and Polishyou can find links to those channels below.

  • Now I'm sure many of you have comments, ideas, and suggestions; we're happy to hear them.

  • See you next week!

My name is Indy Neidell and this channelThe Great Waris going to cover the first world war,

私の名前はインディ・ナイジェル。 そしてこのチャンネル「ザ・グレート・ウォー」は毎週、第一次世界大戦を扱います。

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