字幕表 動画を再生する 字幕スクリプトをプリント 翻訳字幕をプリント 英語字幕をプリント I was raised a practicing Muslim and remained one for almost half my life. 私は実践的なイスラム教徒として育ち、人生のほぼ半分をそのように過ごしました。 I attended madrassas, that is, Islamic schools, and memorized large parts of the Qur'an. 私はマドラサ、つまりイスラム教の学校に入りコーランの大部分を暗記しました。 As a child, I lived in Mecca for a time and frequently visited the Grand Mosque. 子供の頃しばらくメッカに住んでおり、たびたびグランドモスクを訪れました。 As a teenager, I sympathized with the Muslim Brotherhood. 十代の頃、私はムスリム同胞団に共感しました。 At 22 while my family was living in Kenya, my father arranged my marriage to a member 22歳のとき、私の家族はケニアに住み、父は私が一族のある男性と結婚するよう of our family clan, a man that I had never met. 取り決めましたが私は彼に会ったこともありませんでした。 I ran away, made my way to Holland, studied there and eventually was elected a member 私はオランダに逃げるとそこで勉強し、最終的には of the Dutch parliament. オランダ議会の議員に当選しました。 Now I live in the United States. 私は現在アメリカ合衆国に住んでいます。 In short, I have seen Islam from the inside and the outside. 一言でいえば私はイスラムを内側と外側から見てきたということです。 I believe that a reform of Islam is necessary and possible. 私はイスラムの改革が必要でありそれが可能だと思います。 And only Muslims can make that reform a reality. そしてイスラム教徒だけがその改革を実現できるのです。 But we in the West cannot remain on the sidelines as though the outcome of this struggle しかし西洋にいる私達も、この努力の結果と無関係であるかのように has nothing to do with us. 傍観してはいられません。 If the jihadists win and the hope for a reformed Islam dies, the rest of the world will pay ジハーディスト(聖戦を行う人)が勝って改革されたイスラムへの希望が消えれば、世界の他の国々は a terrible price. 大きな代償を払うことになります。 The terror attacks in New York, London, Madrid, Paris and many other places ニューヨーク、ロンドン、マドリード、パリ、そして他の多くの場所でのテロ攻撃は are only a preview for what is to come. これから起こることの予告に過ぎません。 For this reason, I believe that it’s foolish to insist, as Western leaders habitually do, こののような理由から、西洋の指導者が常々行っているように、イスラムの名において行われる暴力行為が that the violent acts committed in the name of Islam can somehow be divorced 宗教そのものからは分離できるのだと主張することは from the religion itself. 愚かなことだと私は思います。 For more than a decade, my message has been simple: Islam is not a religion of peace. 10年以上の間、私のメッセージは単純でした。イスラム教は平和の宗教ではありません。 When I assert this, I do not mean that Islamic belief makes all Muslims violent. このような主張をするからといってイスラム教の信仰がすべてのイスラム教徒を暴力的にするという意味ではありません。 This is manifestly not the case: There are many millions of peaceful Muslims in the world. そうでないことは明らかです。世界には多くの平和的なイスラム教徒がいるのです。 What I do say is that the call to violence and the justification for it are explicitly 私が言いたいのは、暴力の要求とその正当化は、はっきりと stated in the sacred texts of Islam. イスラム教の神聖な本の中に書かれているということです。 Moreover, this theologically sanctioned violence is there to be activated by any number of offenses, その上、この神学的に認められた暴力はあらゆる犯した罪によって引き起こされ、それには including but not limited to adultery, blasphemy, homosexuality and apostasy 不倫、冒涜、同性愛、そして棄教、つまり --that is to leave Islam. イスラム教をやめることも含まれますがそれだけではありません。 Those who tolerate this intolerance do so at their peril. このような耐えられないことを耐える人々は、危険を覚悟でやっているのです。 As someone who has known what it is to live without freedom, I watch in amazement as those 自由のない生活を送るということがどういうことかわかっている人間として、私が呆然として目撃しているのは、 who call themselves liberals and progressives--people who claim to believe so fervently in individual 自由主義者、進歩主義者を自称する人々、つまり個人の自由と少数派の権利の価値を liberty and minority rights--make common cause with the forces in the world that manifestly 非常に熱烈に信じると主張する人々が、正にその自由とそれらの少数派を pose the greatest threats to that very freedom and those very minorities. 明らかに脅かしている世界の勢力と協力し合っているということです。 In 2014 I was invited to accept an honorary degree from Brandeis University for the work 2014年に私はブランダイス大学から名誉学位を受け取るために招待されました。 I have done on behalf of women's rights in the Muslim world. それは、私がイスラム世界の女性の権利のために行った業績によるものでした。 That invitation was withdrawn after professors and students protested my criticism of Islam. その招待は、私のイスラム教批判を教授と学生が抗議したのちに取り消されました。 My subsequent "disinvitation," as it came to be called, was no favor to Muslims 私が受けた招待の取り消しは、まったくイスラム教徒のためになりませんでした。 --just the opposite. まったく反対だったのです。 By labeling critical examination of Islam as inherently "racist," we make the chances イスラム教を批判的に検分することに、本質的に「人種差別」というレッテルを張ることで、 of reformation far less likely. 改革の機会を失わせているのです。 There are no limits on criticism of Christianity at American universities or anywhere else, アメリカの大学や他のいかなる場所でもキリスト教に対する批判には制限がありません。 for that matter; why should there be of Islam? それなら、なぜイスラム教には制限があるのでしょうか? Instead of contorting Western intellectual traditions so as not to offend our Muslim 私達イスラム教徒の市民の感情を害するといけないので、西洋の知的伝統を管理するというのではなく fellow citizens, we need to defend both those traditions and the Muslim dissidents who take 私達はそれらの伝統と、大きな危険を冒してまでイスラム教に異議を唱える人々の great risks to promote them. 両方を守る必要があります。 We should support these brave men and women in every way possible. 私達はそのような勇敢な男女を可能な限りあらゆる手を尽くして応援すべきです。 Imagine a platform for Muslim dissidents that communicated their message through YouTube, イスラム教に異議を唱える人がユーチューブ、ツイッター、フェイスブック、そしてインスタグラムで Twitter, Facebook, and Instagram. 自分たちのメッセージを伝える場を想像してみてください。 These are the Muslims we should be supporting--for our sake as much for the sake of Islam. 私達はこのようなイスラム教徒を、イスラムのためと同様に自分たちのために応援すべきなのです。 In the Cold War, the West celebrated dissidents such as Alexander Solzhenitsyn, Andrei Sakharov, 冷戦下で西側は、アレクサンドル・ソルジェニーツィン、アンドレイ・サハロフ、 and Václav Havel, who had the courage to challenge the Soviet system from within. ヴァーツラフ・ハヴェルのように内部からソビエトの体制に勇気を持って戦いを挑んだ反体制派を称賛しました。 Today, there are many dissidents who challenge Islam, but the West either ignores them 今日、イスラムに戦いを挑む多くの反体制派がいますが、西側は彼らを無視するか or dismisses them as "not representative." 「代表的な立場でない」としてはねのけています。 This is a grave mistake. これは重大な誤りです。 Reformers such as Tawfiq Hamid, Asra Nomani & Zuhdi Jasser and many others タウフィーク・ハミド、アスラ・ノマニ、ズディ・ジャッサー、そして他の多くの改革派は must be supported and protected. 支援され保護されなければなりません。 They should be as well known as Solzhenitsyn, Sakharov, and Havel were in the 1980s. 彼らは1980年代のソルジェニーツィン、サハロフ、そしてハヴェルと同じように知られるべきです。 If we do in fact support political, social and religious freedom, then we cannot in good 私達が実際に政治的、社会的、宗教的な自由を支持するなら、 conscience give Islam a free pass on the grounds of multicultural sensitivity. 多文化への気配りを根拠としてイスラム教にフリーパスを与えることは道義上できません。 We need to say to Muslims living in the West: If you want to live in our societies, to share 私たちは西洋で暮らすイスラム教徒にこう言う必要があります。私たちの社会で暮らしたいと思うなら、 in their material benefits, then you need to accept that our freedoms are not optional. 彼らの物資的恩恵にあずかりたいなら、私たちの自由は任意のものでないことを受け入れる必要があります。 Islam is at a cross roads of reformation or self-destruction. イスラム教は改革か自己破滅かという岐路に立っています。 But so is the West. しかし、西洋も同じです。 I'm Ayaan Hirsi Ali of Harvard University for Prager University. 私はハーバード大学のアヤーン・ヒルシ・アリです。プレガー・ユニバーシティでした。
B1 中級 日本語 米 イスラム 改革 自由 宗教 暴力 体制 イスラム教は平和の宗教なのか? (Is Islam a Religion of Peace?) 117 13 Ks.Romeo に公開 2021 年 01 月 14 日 シェア シェア 保存 報告 動画の中の単語